縁の薄い人
そもそも私は、人間として情が薄いから
人との縁が薄いのですが、笑
それは置いておいて、
「この人は、仲良くしてみようかな」
と思っても、残念なくらいに、
縁の薄さを感じる時があるのです。
それは会っている間中、
「延々と名前を間違われ続ける時」です。
すぐに諦めるわけでもなく、
もちろん訂正もします。
それは、私の影が薄いのが悪いんじゃないか?
と思われるかもしれませんが、
人が大勢いる場合なら
私もそう思うのですが、
そういうわけではないのです。
これまで、こういうケースが、
3−4回ありました。
どの時も、何かしらの理由で
相手の方が望まれて、少人数で
会った時なのです。
老齢による問題というわけでもなく、
年齢は、私より上も下もいます。
どんな流れでそうなるのかをご説明します。
私の苗字は、ちょっと変化球で、
織田とかいて、おりたと読みます。
「ほんの少しだけ」珍しいのです。
ここがポイントです。
私も、結婚する前は、知らない苗字で、
夫のことは、モリタさんかと
聞き間違えたくらいです。
そのため、相手の方が、
私の名前を正確に聞き取れない
気持ちもわかるため、
始めて、どなたかとお知り合いになる時、
口頭で「織田と書いて、おりたと言います」
とちょっと、バカ丁寧なくらいの
自己紹介をします。
はじめましてが、メールなら、
「おりたより」とひらがなで書いたり、
「織田(おりた)より」と
仮名をつけたりします。
大体の方は、その後に会う時から、
おりたさんと呼んでくださいます。
しかし、この縁が薄いタイプに会うと
第一声「おださん」と呼ばれます。
必ず。笑
これが第一発目のお印。
私も名前に関しては、
そんなに頑なではないので、
一回しか会わない人、お店の呼び出し、
銀行、郵便局など、
取り違いで問題が起きる状況でない限り、
あえて、訂正しません。
別に、間違われることでプライドも
傷つかないし、どうでもいい。
お互いが認識しあえて、
用事がさっさと済めば、それでいい。
薄情なだけに、その程度で構わないんです。笑
我が家は、全員そんな感じで、
あちこちで「おださん」と呼ばれても
「はい」と返事します。笑
ただ、仕事など正式な名前が必要な場合や、
一定期間関わる方には、
手違いで面倒が起きるといけないし、
相手に恥をかかせることにもなるので、
できるだけ丁寧に訂正します。
もちろん、縁の薄い人たちにも、
丁寧に訂正しました。
その瞬間は「そうでした」と言うものの、
それでも、次の瞬間また「おださん」と
呼んだり、その日はなんとかなっても、
次回、会うと「おださん」に戻ります。
これが、第二発目の印、というか薄縁決定。笑
悪気がない様子は、こちらが相手のことを気の毒に
感じるくらいです。
だからか、こっちが謝る感じになってしまうのも
特徴。ダメ押しの、第三発目の印です。笑
私の名前くらいは大したことないけれど、
見ていると、
全般的に物事への関心が薄かったり、
ご自分が関心のあること以外には、
無関心なところがあったりして、
「この人、この感じで生きてきて、
色々逃しているんだろうな」って
感じるのが共通しています。
こう言う人は、非常に頭の中が忙しいので、
一度、どこかで、
「織田=おだ」って覚えたからには、
それ以外は受け付けられないのです。
だから、漢字が頭の中に浮かぶと、
瞬時に「おだ」が口から出ちゃう。
もうどうしようもないし、仕方ないのでしょう。
それはそう言うものなのです。
具体的に状況を説明すると、
以前、あるお教室に2年以上通い、
その後も進行のあった先生がいました。
どうやら私のことを偉く気に入ってくださって、
こちらが、ちょっと困惑するほど、
お教室で私のことを贔屓にしていましたが、
どうしても「おりた」は身に付かなかった。
この贔屓も、ご自分の都合でされるので、
結果として、先生の便利に使われたり、
利用されることになって、
迷惑だったので、縁の薄さを感じて、
「大丈夫、逃げればいい」と
思えたのが救いでした。
さらに、面白いのが、
この先生の名前をどうしても
間違えてしまう人がのちに登場したことです。
こういうのを「カルマ」っていうのかな
と思いました。笑
また、ある方に食事誘われて行ってみると、
そのご本人と会食で出会った瞬間に
名前を間違われました。年配の方だしと思い、
「ごめんなさい、織田と書いて、おりたです〜」
と、できるだけ失礼のないように訂正したのですが、
その一瞬後から、速攻で、
「おださん」に戻ってしまいました。
数時間の間「おださん」として黙っていましたが、
一応、可愛がってくださっている様子なので、
スルーも悪いと思い、最後の「おださん」には、
「ごめんなさい〜おりたなんです、
またよろしく」とお伝えはしましたが、
どうでしょうね。笑
また不思議なのが、私をこの方に紹介した同席者が
この間ずっと知らん顔なのも驚きでしたが🤷♀️
なんか言えよ。笑
他にも、お仕事の方で、対面、電話やメールなど、
ガッツリやり取りをしていた方も、
久しぶりにお目にかかったら、
「おださん」になっていて。
その時は、もう訂正しませんでしたが、
不思議とすぐ後に、その方の事情により
関わりがなくなりました。
面白いのが、みなさん共通して、
一見、私にものすごく興味があるように
見えていたことです。
でも、一旦、付き合ってみると、
実は、全くそうじゃない。笑
「名前を間違えると縁が薄い」という基準は、
私特有のお印かもしれませんが、
ある意味、こう言うお印や合図みたいなものって、
誰にでもあると思うのです。
誕生日バージョンもあります。
何年も知り合いなのに間違えてくる。
別に、祝ってほしくもないのに、
勝手に祝い、勝手に間違えて祝ってきて、
最後には、逆ギレされたことがあります。
「覚えにくい誕生日だ」とか
「毎回どの日か、知らないけど、おめでとう」
などと勝手に間違えておいて、嫌味まで言ってくるのには、
ほとほと参りましたが。笑
これを入れると、また増えました。
こう言う人たちは、普段から行動が、
「とっ散らかって」います。
彼らは、自分の中に渦巻く想いに
翻弄されすぎて、周囲に構っていられないのです。
必死に生きているだけで、
悪気はないので、こちらも腹も立たないし、
(意地悪な人は別だけど)
「仕方ないや」くらいにしか感じないのも
特徴的です。
人に対して失礼だけど、許されている。
ある意味、得な性格だし、
それを面白いと思ってお付き合いする方も
多く、結構人に囲まれているのも特徴です。
ご本人たちも、自分が天真爛漫だと思って
自分を面白いキャラだと思っていたりしているので
直す気はさらさらありません。
全然、それでいいと思います。
私は、あまり関わりたくないですが、
それとは裏腹に、私は、
こう言う人に好かれやすいです。
面倒見がいい人に見えるからだと思います。
結局、利用されることになり、
必要以上に頼られてしまうので逃げますが。
ただ、こう言うタイプの方を
気の毒に思う面もあります。
ご自分たちは、とっ散らかっていることを
天然キャラ的なチャームポイントに
感じているのとは裏腹に、
実は、ご本人も、自分のそういった性格に
振り回され、徒労が多く、疲労している
と言うことです。
どうしても空回りが多く、動きや労働の割に、
成果が上がらない。
周りには、助けてくれる人は多いのですが、
「ありがとう」「ごめんなさい」が
きちんと言えないので、人の助けをも
無駄にすることも多く、
なかなか、継続的に繋がれる人は少なく、
物事がスムーズにいかないように思います。
そのためか、明るそうに見えて、
ストレスがあるからか、
どこかその明るさは、ヒステリックです。
周りは振り回され、疲れてしまう。
人に囲まれているようで、
心が繋がれないので、
実は孤独だと思います。
だから、常に頼れそうな人と
仲良くなろうとする。
仲良くしたいから、初めは、
丁寧に接しても、大丈夫だと安心すると、
どんどん独りよがりになってしまう。
そうなると、周りは、敬遠します。
そこで、孤独になりたくないから、
手放したくないと、必死に抵抗する。
最後は、面倒な人になってしまう。
縁の薄さは、自分の相手への
関心の薄さなのです。
そこに気が付かない限り、
思いやりや相手を大切にする気持ちが
湧いてこないから、どんなに周りが頑張っても
縁は濃くならない。
私は、そんな人に、数年に一度出会うのですが、
名前を間違わる度に、お互いの乗った小舟が、
ゆらゆらと波に揺られて離れていくのを感じます。
相手が、必死に漕いで近づいてきても、
私の小舟を見ないで突っ込んでくるから、
小舟は衝突してしまい、
今度は、大きく離れてしまう。
仲良くしたい人こそ、
相手のペースや様子を大切に
したいものだなと思います。
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