やめたいけれど、やめられないことがある時
「今の自分の生活や生き方を変えたい」と思っているのに、
「できない」。
わかっているけど、やめられないことがある人。
私自身も普段、食べ過ぎたり、怠けたり、
捨てたいけど捨てられない洋服があったり。
そういうことは、あります。
やんなきゃな〜面倒臭いな〜と思うこともあります。
ただ、これまで根本的な大筋部分、
生活スタイル、人間関係、仕事などに関わることは、
かなり吟味し、選択してきました。
えらいわけじゃなくて、単に堪え性がないからで、
失敗も多いし、「この人細いな」
と思われることも多いようです。笑
ただ、私の人生は、私の納得いくように生きたいです。
間違いなく、過去に吟味と選択してきたことは、
現在の自分が置かれている状況や環境に、
多大な影響を及ぼします。
また自分のしたことは、良いことも悪いことも、
必ず、何らかの形で自分に返って来ます。
どんな些細なことでも。
皆さんも人生を振り返ると、
そう感じることがあるのではないでしょうか。
自分の状況を変えたいのに、変えられない人を見ていると、
生活や人生の土台となる重要な部分に
「やめたいけれど、やめられないこと」
があることが多いです。
第三者として見ていると、
「あれをやめればいいだけなのに」とあからさまでも、
本人は、そこから抜けられない状況。
そもそも、もうやめる気もないんだろうな、
ただ、ぼやき続けたいんだろうなとさえ感じてしまう。
こういう方は、セラピーは受けてくれません。笑
自覚があるから、下手にセラピーで
自分に向き合いたくないのでしょう。
人ぞれぞれなので、好きなようにしたら良いと思うんです。
見捨てるとか、冷たい意味ではありません。
世の中には、やめたいことが、やめられない人もいれば、
自分に向き合って、自分を整えて生きる人もいる。
どっちもアリだし、場面によって両方体験することもある。
みんな好きに生きればいい。
明るく自分の弱点を受け入れれば、
それはむしろ立派だと思うんです。
愚痴っぽくもならない。
だけど、自分でも不満を感じて、
僻みっぽく、ネガティヴになっている人は危険です。
エナジーヴァンパイアになってしまう。
もしも、現状に不満があって、自己嫌悪や
愚痴っぽくなっているなと感じて、
「本当に何とかしたい。」
「今いる場所から、向こう側に見える世界に行きたい。」
と思っているなら、ちょっと踏ん張って
軌道修正することをお勧めします。
「やめたいのにやめられない」の例としては、
こんな人たちを見たことがあります。
「痩せたいのに痩せられない」と言っているのに
毎晩のポテトチップスを一袋食べて、
常にぽっちゃりな人。
人間関係に不満があるのに、
そこから抜けようとせずグチばかりで、
だんだん周りに人がいなくなる人。
夜型の生活をして遅刻ばかりしているのに、
生活改善ができなくて、約束を破って失敗ばかり。
信頼をなくす人。
これらは、軽めのケースだと思いますが、
重たいケースだと、アルコールや薬などの依存症や
キレやすい人、ヒステリー症も同じだと思います。
依存症は、あからさまに周りに多くの影響を与えることは
周知の事実だと思います。
副作用の大小はあれど
「やめたいけれど、やめられない症候群」
の原理は同じではないかと思います。
もし、初めは健全な人間関係の中にいたとしても、
この状況が続けば続くほど、だんだんと自分と同じ
「やめたいけれど、やめられない症候群」
の仲間が周りに増えて行きます。
お互い様の方が、気持ちも楽だから。
だけど、そのお互い様は、自分の嫌な部分も見せてくれます。
気楽な反面、不快な思いもする。
そうなると、嫌な人間関係が成立します。
習慣を変えない限り、そこからは抜けらません。
負のスパイラルにハマります。
すると、またストレスがたまり、
やめたいことは、ますますやめられなくなる。
「それをやめればいいだけなのに」と思う人と、
「やめたいけれどやめられない人」は、
どうしてもお別れすることになります。
根底に流れる価値観が違うから、
自然と離れることになってしまいますよね。
「やめたいけれど」と思っている時点で、
その行為が自分にとってマイナスであることを
理解していると思います。
だから、自己嫌悪に陥り、ネガティブ思考になりやすい。
余計に健全な人は、離れて生きます。
具体的にどんな様子かというと、
ダイエットや運動を頑張っているとします。
だけど、毎晩のポテチ一袋はやめられない。
「ポテチを一袋食べると、太る」ことも重々わかっている。
自分では管理できないから、パーソナルトレーナーに管理をさせる。
ここで、根本的な問題も解決すれば、管理のおかげで、生活改善もできます。
だけど、「やめたいけれどやめられない症候群」の人は、そうはいかない。
今度は、こっそりポテチを一袋食べたり、
管理している人に嘘をついたりしちゃう。
それなら、好きなだけ食べて、
ニコニコしていれば良いものの、
だんだんイライラして、周りに当たります。
細身な人に嫌味を言ったり、
「トレーナーが役に立たない」と人のせいにして不平不満を言ったり、
周りの人の足を引っ張るような発言をする。
自分が良くなれないから、みんなを下げちゃう。笑
もしも、ポテチを一袋食べることを
心から良いと信じるなら、
心は満たされるから、罪悪感もないし、
何だったら太っても構わないはずです。
それはそれで、いいじゃないと思うんです。
ポテチは、おいしいですから。笑
しかし、本心は、ポテチが大事なのではなくて、
「本当はすごく痩せたい」と思っているので、
「このポテチを毎晩一袋食べるのは、悪いことだ」と
感じているわけです。
自覚しているのに、目標にそぐわない行動をとっているから、
自己嫌悪に陥り、不満やストレスを抱えるようになる。
すると、それを解消するために、またポテチを大量に食べる。
不満やストレスを抱えている限り、
「ポテチの大量喰いをやめる」ことができない。
そもそも、初めに、太るほどポテチを食べていた時点ですでに、
ポテチは、何かしらの不満やストレスを解消するものとして
食べていたと考えられます。
「やめたいけれど、やめられない」ことは、
自分の持っている不満やストレスを
一瞬だけ忘れさせてくれる、麻薬のようなものです。
でも、その一瞬が終われば、そこには
どす黒い「自己嫌悪とストレス」という副作用が
あります。
やめるためには、根本的な不満やストレスの原因を
しっかり見つけることが必要です。
なぜ、ポテチばかり食べてしまうのか、
なぜ、不快な人間関係から抜けられないのか、
なんで、夜眠れずに昼間の行動に支障をきたしてしまうのか。
ポテチが美味しい、だけど、痩せられない。
グチを言い合うのが楽しい。だけど、気分の良い人間関係が築けない。
夜中の寝ないのは楽しい。だけど、人からの信頼を失う。
依存症は、簡単に手に入るメリットと、
代償となる大きなデメリットがあります。
やめたいのにやめられない人は、
「どうせ頑張ったって、この程度」とか、
「私にはどうせできない」という思いが強いです。
だから、問題の本質を見ないで、逃げちゃう。
でも、そういう生き方をしていると、
知らないうちに大事なものを、
どんどん失ってしまいます。
大事なものを失う前に、自分にとって何が大事か、
何を最優先したいか、思い出してみると良いと思います。
これだけは、汚したくない、
これだけは、失くしたくない、
と思う大切なものを思い出す。
信用、信頼、仕事、子どもの笑顔、家族との関係、
大事な人との関係、健康、などなど。
自分が不満やストレスを抱えることで、
そういう大切なものを傷つけてしまわないように、
問題の根本を見つめ直してみるといいのでは
ないかと思います。
自分のしていることは、
大事なものを大切にすることから、
どれくらい離れているのか。
私は、「これは本当に必要なのか?」と自問自答して
吟味、選択するようにしています。
もちろん人生に寄り道も必要だし、
寄り道で人生の幅が広がります。
ただ、「やめたいのに、やめられない症候群」の行動は、
心と体を消耗します。ダメージの方が大きい。
戻ってこれないリスクもあって、幅はむしろ狭まります。
ポテチなら、量を調節して、楽しみも残すこともできますが、
ことによっては、悪い人間関係、薬など、
一回でも信用を無くすようなこともあります。
ダメージしかないことも。
「どうして、そこに頼っているでしょう?」
幼少期の人間関係、トラウマなどかもしれないし、
現在自分の置かれている環境や現状に
何か気がついていない問題があるかもしれません。
一度、自分を見直す機会としてカウンセリングや
セラピーを利用することも良いと思います。
そういう本を読んでみるのでもいいと思います。
問題を抱えている人に限って、
「カウンセラーやセラピーは、自分に向き合わないといけないから
行きたくない」と言います。
だけど、自分が自分に向き合わない限り、
誰も問題を解決はしてくれません。
たいてい、「やめたいのにやめられない症候群」の背景には、
不満やストレスと一緒に、人一倍大きな孤独感があります。
この孤独感って、自分が自分に向き合わない限り、なくなりません。
孤独感って、周りに人がいるか、いないか、ではないのです。
自分が自分を無視していることが、孤独感の最大の原因です。
本当は、どうしたい?って自分に目をむけて、
自分自身の相手をしてあげると、孤独感は癒えていきます。
それから、嫌なことを言うようですが、
自分で自分はごまかせても、周りの人はごまかせません。
隠せているようで、顔にも、行動にも、全ては現れます。
下手したら、メール、メッセージの文章や
その人の撮る写真などにも現れます。
健康で心地よい環境を築きたければ、
自分が自分を見つめるのが、一番です。
自分に耳を傾けられないと、
大事な人も大切にできません。
雑に扱われれば、当然、人は去ります。
自分を省みないと、大事なものを失うと
私は思います。
「やめたいのに、やめられない」ことが、
自分の人生の足を引っ張りそうだと感じたら、
改めて吟味、選択の基準を考える時だと思います。
私も自分を研ぎ澄ませて、やるべきことをできるように
頑張りたいと思います。
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