ひらめきのコツ~自然に引き出してもらう その1
肩の力が抜けて、ラクになるコツについて、気づいたことです。
よく書いてますが、私たちが、生きていることに別に意味なんてない、と考えてます。
捨て鉢じゃないですよ(笑)いい意味で~リラックスしてって意味~
もちろん、我々は、ほかの動植物と同様に大きな価値があり、
自然界の中の一つの生物としては、大きな意味もあります。
できることも、世に役立てるべき能力も、いっぱい備わってます。ありがたい命。大切な命です。
でも、よく世の中で、みんなが探すような「表面的な意味」は別にないと思います。
だから、なんかしなきゃ、と焦る必要もないし、
自分も他人も人生も、変にコントロールする必要はないと思うよ、
ということが言いたいのね。
自然に同化し、自然を学び、自然に身をゆだねると
気持ちがほぐれて、流れに乗れるので、無理に物事を支配したい気持ちがなくなります。
自然界のもののように、リラックスして、自分らしくなると、
エゴ、自分の頭で考えた偏った考え、怒りや嫉妬の感情、に惑わせれなくなり、
心身が健康になります。
支配したい気持ちに振り回わされることは、ストレスの大きな要因の一つです。
心身が健康になると、できることをスムーズにやれるようになるので、
楽しいし、自然と人の役に立っちゃうと思うんです。
様々な感情の波は誰にでもあって、
エンドレスに、引いてはまた来るものなんだけど。
そこで、どれだけ自分を見失わずに、惑わされないこと。
それがラクに、かつ、生産性のある生き方ができるコツだと感じてます。
人生がうまくいかない、自分は運が悪い、と思っている方は、
こういう気持ちに振り回わされているのです。
別に、本当に人生がダメなわけじゃないし、運も悪くないの。
だけど、自分で自己暗示をかけて、そっちを選んでる。思考の問題です。
よくある人生の罠です。自分で自分に仕掛けている、罠。
自分を見つめるのが好きじゃない人がかかりやすい罠です。
本当の自分を認めると何かに気がついて、変わらざるを得ないから見たくない。
変わるのが怖いから自分を惑わして、ごまかしているのですね。
惑わされることは、仕方ないの。
お釈迦さまでさえ、死の間際まで惑わされていたのですから。
最後まで、悪魔が話しかけてくるって。
私も教わったお話しで、ご存知の方も多いと思いますが、
お釈迦さま、死因は「食中毒」です。
断食で修行していたお釈迦さま、お腹がすいて食べてしまったキノコに当たって食中毒 (;'∀')
衝撃的ですよね??w
そして、そんなお釈迦さまの涅槃にお弟子さんたちが集まり、
最後の教えを請い、語り継いでいるわけですよ。すごいですよね、みんなに愛され、慕われて。
きっと、かわいい方だったんじゃないかなあ~
だって、変なもの食べて、ポンポン痛い痛い、
死にかけの80歳のおじいさんの周りに集まるって、すごくないですか?
失礼か?ww
もちろんお気の毒だけど、不謹慎ながら、ちょっと、笑っちゃうよね。
愛嬌があって、愛しくなるでしょう?www
そして、これこそが、THE人間なんですよね。
そうやって身をもって (想定外で無意識でしょうが^^;)
お釈迦さまは、人間の在り方を見せて、教えていってくれたのですね。
我々下々の者は、身近なエピソードじゃないと、理解しにくいから
意図的ではないにしろ、この食中毒エピソード、結果オーライなのねwww
ご本人も、まさかで
「まじ、最後は、食中毒かよ??なるほどね、最後まで、人間だな、俺」
と思いながら、すべての煩悩から解き放たれ、涅槃に入ったんでしょうね。
注:すべては、織田裕子の個人的なイメージ、妄想です(笑)
最後まで、人間は、心の葛藤と戦うものであり、
私たちは、そんな選択の連続を生きていくんだということ。
その中でもっとも自分らしく、自然体の選択をするには、
自分を知り、受け入れ、研ぎ澄ませるのが大事であること。
そして、やはり、人間らしい愛嬌が大切。
謙虚さとは、変に遠慮したり、自己演出することじゃなくて、
そんな健気に生きる姿勢から湧いてくるものなんだってこと。
このエピソードから私が感じたことです。
ちょっと書きたいことから脱線したから、
続きはその2へ。
よく書いてますが、私たちが、生きていることに別に意味なんてない、と考えてます。
捨て鉢じゃないですよ(笑)いい意味で~リラックスしてって意味~
もちろん、我々は、ほかの動植物と同様に大きな価値があり、
自然界の中の一つの生物としては、大きな意味もあります。
できることも、世に役立てるべき能力も、いっぱい備わってます。ありがたい命。大切な命です。
でも、よく世の中で、みんなが探すような「表面的な意味」は別にないと思います。
だから、なんかしなきゃ、と焦る必要もないし、
自分も他人も人生も、変にコントロールする必要はないと思うよ、
ということが言いたいのね。
自然に同化し、自然を学び、自然に身をゆだねると
気持ちがほぐれて、流れに乗れるので、無理に物事を支配したい気持ちがなくなります。
自然界のもののように、リラックスして、自分らしくなると、
エゴ、自分の頭で考えた偏った考え、怒りや嫉妬の感情、に惑わせれなくなり、
心身が健康になります。
支配したい気持ちに振り回わされることは、ストレスの大きな要因の一つです。
心身が健康になると、できることをスムーズにやれるようになるので、
楽しいし、自然と人の役に立っちゃうと思うんです。
様々な感情の波は誰にでもあって、
エンドレスに、引いてはまた来るものなんだけど。
そこで、どれだけ自分を見失わずに、惑わされないこと。
それがラクに、かつ、生産性のある生き方ができるコツだと感じてます。
人生がうまくいかない、自分は運が悪い、と思っている方は、
こういう気持ちに振り回わされているのです。
別に、本当に人生がダメなわけじゃないし、運も悪くないの。
だけど、自分で自己暗示をかけて、そっちを選んでる。思考の問題です。
よくある人生の罠です。自分で自分に仕掛けている、罠。
自分を見つめるのが好きじゃない人がかかりやすい罠です。
本当の自分を認めると何かに気がついて、変わらざるを得ないから見たくない。
変わるのが怖いから自分を惑わして、ごまかしているのですね。
惑わされることは、仕方ないの。
お釈迦さまでさえ、死の間際まで惑わされていたのですから。
最後まで、悪魔が話しかけてくるって。
私も教わったお話しで、ご存知の方も多いと思いますが、
お釈迦さま、死因は「食中毒」です。
断食で修行していたお釈迦さま、お腹がすいて食べてしまったキノコに当たって食中毒 (;'∀')
衝撃的ですよね??w
そして、そんなお釈迦さまの涅槃にお弟子さんたちが集まり、
最後の教えを請い、語り継いでいるわけですよ。すごいですよね、みんなに愛され、慕われて。
きっと、かわいい方だったんじゃないかなあ~
だって、変なもの食べて、ポンポン痛い痛い、
死にかけの80歳のおじいさんの周りに集まるって、すごくないですか?
失礼か?ww
もちろんお気の毒だけど、不謹慎ながら、ちょっと、笑っちゃうよね。
愛嬌があって、愛しくなるでしょう?www
そして、これこそが、THE人間なんですよね。
そうやって身をもって (想定外で無意識でしょうが^^;)
お釈迦さまは、人間の在り方を見せて、教えていってくれたのですね。
我々下々の者は、身近なエピソードじゃないと、理解しにくいから
意図的ではないにしろ、この食中毒エピソード、結果オーライなのねwww
ご本人も、まさかで
「まじ、最後は、食中毒かよ??なるほどね、最後まで、人間だな、俺」
と思いながら、すべての煩悩から解き放たれ、涅槃に入ったんでしょうね。
注:すべては、織田裕子の個人的なイメージ、妄想です(笑)
最後まで、人間は、心の葛藤と戦うものであり、
私たちは、そんな選択の連続を生きていくんだということ。
その中でもっとも自分らしく、自然体の選択をするには、
自分を知り、受け入れ、研ぎ澄ませるのが大事であること。
そして、やはり、人間らしい愛嬌が大切。
謙虚さとは、変に遠慮したり、自己演出することじゃなくて、
そんな健気に生きる姿勢から湧いてくるものなんだってこと。
このエピソードから私が感じたことです。
ちょっと書きたいことから脱線したから、
続きはその2へ。
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